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(事務局 E-mail:cqe07660@yahoo.co.jp)
【創刊号】 1999年4月
岩谷史記 「長崎県域における狸谷型ナイフ形石器の分布について」pp.1-12
渡邊康行 「長崎県における縄文早期研究の現状と課題-押型文土器出土遺跡を中心として-」pp.13-20
渡邊康行 「一野式・弘法原式の設定をめぐって」pp.21-34
福田一志 「西北九州における縄文後期遺跡の特性-土器分布・石器を中心に-」pp.35-50
古門雅高 「黄金山古墳出土土師器の検討」pp.51-57
川口洋平 「長崎県における周防・豊前系雑器の流入について」pp.58-66
小松 旭 「防衛食容器に関する一考察」pp.67-80
宮下雅史 【資料紹介】「長崎市重籠遺跡の採集資料」pp.81-86
川道 寛 【資料紹介】「宇久島・長崎鼻遺跡出土の丸ノミ形石斧」pp.87-88
塩塚浩一 【資料紹介】「平戸市馬込遺跡出土の甕棺」pp.89-93
中島佐久男 「斜めから見た考古学」pp.94-96
事務局 「石丸太郎先生の傘寿をお祝いする」pp.97
片山巳貴子 「正林先生との想い出」pp.98
【第2号】 2000年3月
赤司善彦・水ノ江和同 「小値賀紀行」pp.1-8
辻田直人 「長崎県における新発見の遺構・遺物について」pp.9-17
古門雅高 「五島・富江町宮下貝塚出土の縄文後期中葉の土器について-宮下式土器の設定を中心にー」pp.19-32
尾上博一 「島原市景華園遺跡出土の中細形銅矛」pp.33-37
開 正和 「大村市黄金山古墳の調査」pp.39-40
宮﨑貴夫 「長崎県出土の渡来銭・模鋳銭について」pp.41-52
川口洋平 「一括資料からみた長崎遺跡群」pp.53-65
事務局 「松永泰彦さんの一周忌にあたって-」pp.66-68
川道 寛 「長崎県五島列島発見の「神子柴」型石斧」pp.69-74
正林 護 「韓国・蔚山牛峰里遺跡における菱形文赤色顔料塗彩土器紹介」pp.75-78
中島佐久男 「続・斜めから見た考古学」pp.79-82
富江文化協会考古学部 「富江の古代文化」について」pp.83-90
【第3号】長崎県の城郭・城館特集号 2001年7月
【総論】
本田秀樹 「いま、「長崎県内の城郭」がおもしろい」pp.1-5
【各論】
田中淳也 「特別史跡金田城跡の調査結果についてービングシ山周辺・二ノ城戸城門跡を中心に-」pp.7-12
事務局 「桜町遺跡(仁位館)」pp.13-14
尾上博一 「清水山城・金石城」pp.15-18
福田一志 「桟原城(屋形)跡」pp.19-24
川口洋平 「覩城跡」pp.25-28
久村貞男 「武辺城跡と井出平城跡の発掘調査」pp.29-38
村川逸朗 「直谷城主「志佐氏」の領地と海上交易圏pp.39-49
塚原 博 「小値賀及び五島列島北半の」中世城館遺跡」pp.51-61
塚原 博 「小値賀及び五島列島北半の」中世城館遺跡」pp.62-74
福田一志 「岐宿城跡」pp.75-76
福田一志 「城岳城跡」pp.77-79
松崎義治 「石田城及び五島氏の沿革」pp.81-88
本田秀樹 「小薗城跡」pp.89-90
松川憲毅 「坂口館跡ーキリシタン大名 大村純忠」終焉の居館跡-」pp.91-97
今村 明 「歴史公園「大村純忠史跡公園」の整備」pp.98
松本慎二 「原城」pp.99-108
土橋啓介 「島原城外郭遺構について」pp.109-117
木村岳士 「史跡 日野江城跡発掘調査の現状」pp.118-122
川瀬雄一 「沖城」pp123-128
古門雅高 「矢上城跡」pp129-132
古門雅高 「中尾城」pp133-136
【特論】
吉福清和 「中世山城の根小屋をめぐって」pp137-144
【第4号】 2001年12月
高原 愛 「諫早市牛込A・B遺跡群の局部磨製石鏃と土器」pp.1-10
大野安生 「黒丸遺跡沖田地区出土土器の検討ー黒川式から山ノ寺式までの編年試案 -」pp.11-26
塚原 博 「長崎県五島列島出土の石製装飾品」pp.27-39
塚原 博 「長崎県五島列島出土の石製装飾品」pp.40-52
宮﨑貴夫 「原の辻遺跡における歴史的契機について」pp.53-65
宮﨑貴夫 「原の辻遺跡における歴史的契機について」pp.66-79
竹中哲朗 「一野古墳群出土土器の編年」pp.81-89
竹中哲朗 「前島古墳群の検討」pp.91-100
中野雄二 「波佐見製品の海外輸出-17世紀後半代を中心として-」pp101-114
藤木 聡 【資料紹介】「長崎県松浦市津崎鼻遺跡群の石器群」pp115-120
辻田直人 【資料紹介】「長崎県立国見高等学校考古資料館所蔵の丸ノミ形石斧」pp121-125
辻田直人 【資料紹介】「国見町矢房遺跡一括出土遺物についてー国見町発掘調査についてー」pp.127-132
中島佐久男 「続続 斜めから見た考古学」pp.133-135
【第5号】 2003年9月
中島恒次郎 「肥前国西部の食器-彼杵郡・松浦郡-」pp.1-8
竹中哲朗 「大村湾・橘湾沿岸の古墳・箱式石棺の検討」pp.9-20
東 貴之 「滑石製石鍋製作所跡について-駄馬・目一つ坊石鍋製作所跡」を中心にー」pp.21-31
東 貴之 「滑石製石鍋製作所跡について-駄馬・目一つ坊石鍋製作所跡」を中心にー」pp.32-42
寺田正剛 「佐世保市相浦地区武辺城築城に関するいくつかの仮説について」pp.43-48
宮下雅史 「花十字紋瓦考」pp.49-62
辻田直人、竹中哲朗 【調査報告】「長崎県国見町における縄文時代草創期遺跡の調査 -小ヶ倉A遺跡の遺跡範囲確認調査からー」pp.63-79
辻田直人、竹中哲朗 【調査報告】「長崎県国見町における縄文時代草創期遺跡の調査 -小ヶ倉A遺跡の遺跡範囲確認調査からー」pp.80-96
大野安生、松尾尚哉 【調査報告】大村市内の中世城郭調査・城の尾城跡ー畝状空堀群並びに在地系石垣を備えた山城-」pp.97-104
井立 尚 【資料紹介】「千里ヶ浜遺跡出土の隆帯を施した曽畑式土器」pp105-109
島原高等学校郷土部 【資料紹介】「島原半島における石棺二例」pp.111-116
竹中哲朗 【資料紹介】「有明町・一野古墳群出土土器」pp117-123
竹中哲朗 【資料紹介】「国見町専正寺遺跡出土の陶硯」pp124-128
東 貴之 【資料紹介】「滑石製品の再利用について」pp127-128
中島佐久男 「またも 斜めから見た考古学」pp129-130
村川逸朗 「文武両道の人”平井譲二”さんの逝去を悼む」pp.131-133
【第6号】正林 護先生喜寿記念号 2005年7月
高野晋司 「正林先生の喜寿記念献呈論文集刊行にあたって」
渡辺 誠 「中近世の鹿笛」pp1-4
甲元眞之 「考古学研究と環境変化」pp5-11
正林 護 「篠崎天民翁と三和町為石遺跡の遺物」pp13-20
藤田和裕 「曽畑式土器の作成」pp21-28
加藤久雄 「ハイガイ(Tegillarca granosa besenensis)のサイズ推定法」pp29-36
廣瀬雄一 「対馬海峡を挟んだ日韓新石器時代の交流」pp37-46
渡邊康行 「石鏃研磨考ー西北九州縄文早期における毒矢の可能性-」pp.47-65
渡邊康行 「石鏃研磨考ー西北九州縄文早期における毒矢の可能性-」pp.66-84
中尾篤志 「鯨骨製アワビオコシの拡散とその背景-原の辻遺跡出土資料の紹介を兼ねて-」pp.85-101
宮﨑貴夫 「捨てられた甕棺-壱岐・原の辻遺跡の場合-」pp.103-119
古門雅高 「有明海西岸地域における弥生時代後期の土器」pp121-132
寺田正剛 「長崎県地域における箱式石棺墓の様相について」pp.133-154
尾上博一 「前方後円墳築造周縁域としての対馬」pp155-171
尾上博一 「前方後円墳築造周縁域としての対馬」pp172-188
川口洋平 「大村町の変遷と歴史的意義-新出資料の提示と評価-」pp.189-206
東 貴之 【資料紹介】「対馬の縄文時代遺跡-豊玉町内新規遺跡踏査報告-」pp.207-216
平田賢明 「長崎街道・大村路に残る石垣遺構について-大村市中里町現存の藩境籠立場跡と思われる石垣遺構」pp.217-224
宮脇好和 「平成15年度埋蔵文化財発掘技術者研修「城郭遺跡調査課程」参加リポート」pp.225-230
中島佐久男 「刷り込みから始まった考古学?」pp.231-232
北島聖美 「ハナチる里から」pp.233
村川逸朗 「正林護先生の喜寿をお祝いして」pp.234-235
佐藤いづみ 「正林先生へ」pp.236
井立 尚 「正林先生との思い出」pp.237
辻田直人 「酒井由紀子氏を偲んで」pp.238-240
【第7号】 2007年7月
大坪芳典 「九州における押型文土器様式の壺形土器-南島原市下末宝(しもまっぽう)遺跡・島原半島の資料をもとに-」pp.1-12
東 貴之 「対馬の縄文時代遺跡②-越高浜遺跡出土土器について-」pp.13-28
東 貴之 附篇「越高浜遺跡表採土器について」pp.29-34
田中聡一 「壱岐島の古墳について」pp.35-47
松尾秀昭 「石鍋の補修具とはーバレン状石製品ー」pp.49-56
石橋忠治 「八人ヶ岳周辺における石鍋製作所跡について」pp.57-66
藤木 聡 「長崎発・火打石事情」pp.67-84
柚木亜貴子 【研究ノート】「長崎・旧袋町出土のガラス製品について」pp.85-92
長崎石鍋記録会 【遺跡紹介】消えゆく遺跡-西海市西彼町所在の石鍋製作所跡踏査報告-」pp.93-98
落矢八郎 【遺跡紹介】「長崎港の台場-神崎台場跡-」PP.99-102 pp.107-114
竹中哲朗 【資料紹介】「島原市有明町一野遺跡出土資料の紹介」pp.103-105
竹中哲朗 【資料紹介】「西海市西彼町江崎古墳出土の陶質土器・須恵器」
井立 尚 【資料紹介】「供養川遺跡出土の近世資料」pp115-120
安村 健 【資料紹介】「万才町出土の瓦」pp121-124
尾上博一 「小礒嘉文さんについて」pp.125-128
【第8号】 故 福田一志氏追悼論文集 2012年5月
※編集は西海考古同人会ではなく故福田一志氏追悼論文集刊行事務局による
(論攷)
杉原敏之 「西北九州におけるAt降灰前後の石刃技術」PP.9-16
橘 昌信 「九州島の「細石器文化」-九州島における細石刃石器群(1)-」pp.17-26
川道 寛 「西北九州における楔形細石刃核の基礎的研究-石ヶ元型細石刃核の評価を中心として-」pp.27-36
綿貫俊一 「隆起線文土器に観察される器面調整と加飾技法」pp.37-44
中尾篤志 「新上五島町小串遺跡出土遺物について-鎌崎型スクレイパーを中心に-」pp.45-54
古澤義久 「韓半島における新石器時代-青銅器時代転換期に関する考察-遼東半島との併行関係を中心に-」pp.55-64
永留久恵 「倭王権の外交・軍事の「営」が対馬から壱岐へ移った可能性と動機」pp.65-72
甲元眞之 「砂丘遺跡と考古学」pp.73-82
能登原孝道「菫青石(きんせいせき)ホルンフェルス製石鎌の生産と流通」pp.83-92
松下真実・松下孝幸「沖縄県摩文仁ハンタ原遺跡出土の高身長縄文人」pp.93-98
川口洋平 「水崎仮宿遺跡出土の瑪瑙帯について(再考)」pp.99-110
竹中哲朗 「島原市礫石原遺跡出土骨臓器」PP.111-120
杉原敦史 「古代における彼杵郡と松浦郡の郡境についてー考古学的成果に基づく歴史学資料の再検討ー」pp.121-130
坂本嘉弘 「中世大友府内町跡の出土銭貨とその周辺」pp.131-150
尾上博一 「金石城跡出土高麗茶碗の整理と分類ー研究の糸口としてー」pp.159-170
佐々田 学 「近世長崎出土権衡資料の基礎的考察ー繭形分銅を中心にー」pp.171-182
藤木 聡 「近世における阿波大田井産チャート製火打石の流通」pp.183-190
宮下雅史 「唐人屋敷跡出土の清朝陶磁-1号堀出土資料に関する覚書-」pp.191-200
奥村俊久 「市町村立博物館の役割」pp.201-205
(追悼文)
安楽 勉 「福田一志君を偲ぶ」p.207
久原巻二 「哀惜の念深く」p.208
田中聡一 「福田一志さんとの思い出」p.214
塚原 博 「君彼岸にあっても葦編三絶なりや」p.215
中野雄二 「福田さんの想い出」p.216
林 隆広 「福田さんの想い出」p.217
伴 耕一郎「笑い声」p.218
古門雅高「弔辞」p.219
本多和典 「福田一志先生との出会いと景華園遺跡」p.220
吉留秀敏 「朋友 福田一志君を偲ぶ」p.221
永嶋 豊 「福田一志さんの想い出」p.222
松見裕二 「良き先輩であり 人に尊敬される人とは」p.223
村川逸朗 「故 福田一志氏との思い出」p.224
【第9号】 2016年9月
大坪芳典 「西北九州における貝殻文円筒形土器と押型文土器の編年」pp.1-16
土岐耕司 「春日式」土器の分類・変遷と長崎市深堀遺跡出土資料の検討」pp.17-34
土岐耕司 「長崎市の深堀遺跡におけるフネガイ科製貝輪について」pp.35-46
伊藤敬太郎 「五万長者遺跡出土の老司式軒瓦について-」pp.47-61
柴田 亮 「大村湾沿岸地域一帯における瓦器椀の再検討-肥前南部型瓦器椀を中心としてー」pp.63-72
溝上隼弘 「平戸領内における17世紀海外輸出陶磁器の一考察-雲竜文碗を中心として-」pp.73-82
村子晴奈 【資料紹介】伊古遺跡出土遺物についてpp.83-88
古澤義久 【近況報告随筆】新生児と土偶pp.89-95
【第10号】 2018年10月
宇野愼敏 「肥前西部における横穴式石室の展開とその背景ー彼杵郡の軍事集団の出現についてー」pp.1-10
宮﨑貴夫 「遺跡からみた長崎県本土(肥前西部)地域の古代の様相」pp.11-20
宮﨑貴夫 「遺跡からみた長崎県本土(肥前西部)地域の古代の様相」pp.21-30
宮﨑貴夫 「遺跡からみた長崎県本土(肥前西部)地域の古代の様相」pp.31-38
宮﨑貴夫 「遺跡からみた長崎県本土(肥前西部)地域の古代の様相」pp.39-46
柴田 亮 「寿古遺跡出土の刻書滑石製石鍋について」pp.47-52
堀苑孝志 「厠から覗きみた長崎の町屋跡ー無意識の片隅に埋没する遺構のために-」 pp.53-62
堀苑孝志 「厠から覗きみた長崎の町屋跡ー無意識の片隅に埋没する遺構のために-」 pp.63-72
伊藤敬太郎 「1856年の屋根景観ー大村藩「郷村記」による全村悉皆調査の記録から-」pp.73-80
伊藤敬太郎 「1856年の屋根景観-大村藩「郷村記」による全村悉皆調査の記録から-」PP.81-88
山梨千晶・中川潤次・古門雅高 【研究ノート】「長崎県大村市竹松遺跡の竪穴建物跡から出土したガラス小玉」について」pp.89-96
馬場晶平 【研究ノート】「九州島内における古式土師器ー肥前西部ー」pp.97-112
宮木貴史・松元一浩 【研究ノート】「壱岐島の古式土師器」pp.113-128
伊藤敬太郎 【研究ノート】「近世長崎の瓦について」pp.129-139
大坪芳典 【資料紹介】西北九州における縄文時代前期~中期の新資料-小野条里 跡の大型集石遺構と鷹島式土器の突脚ー」pp.141-146
森 貴教 【資料紹介】「対馬市豊玉町鑓川採集の両刃石斧について」pp.147-150
古澤義久 「長崎奉行所跡出土磁器に隠された西湖十景」pp.151-156
【第11号】 2020年12月
大坪芳典 「九州北部における一野式系土器の空間的な展開-高並垣式土器・陽弓式土器との関係-」pp.1-18
古門雅高 「大形成人用甕棺墓分布周縁地域の社会-長崎県本土部の弥生時代社会」pp.19-48
大庭孝夫【研究ノート】「北部九州における弥生時代開始期墓制について」pp.101-116
渡邊康行【老朗漫筆】「長崎・佐賀・福岡県域における支石墓の立地についてー表層地質との関係から考えたことー」pp.117-142
【第12号】 2022年3月
宮﨑貴夫 「在地壺と搬入された甕棺・大甕・大壺の検討-弥生時代後期の長崎県本土地域を中心として-」pp.1-32
立谷聡明「古墳出現前夜における鉄製武器からみた地域間交流-西北九州と有明海沿岸地域を中心に-」pp.33-52
古門雅高「前方後円墳分布周縁地域の社会-長崎県本土部の古墳時代前期および中期を中心に-」pp.53-90
宮﨑貴夫「いま磁器を使っているのは波佐見のおかげ-日本の生活文化のなかの波佐見焼-pp.91-110
礒村康行、大坪芳典【研究ノート】「門前タイプ土器の検討―長崎県における縄文時代早期後葉の土器研究【序章】―」pp.109-110
礒村康行、大坪芳典【研究ノート】「門前タイプ土器の検討―長崎県における縄文時代早期後葉の土器研究【序章】―」pp.111-112
礒村康行、大坪芳典【研究ノート】「門前タイプ土器の検討―長崎県における縄文時代早期後葉の土器研究【序章】―」pp.113-118
竹田ゆかり、宮下雅史、渡邊康行【資料報告】「長崎市三重地区・東上遺跡について―五島灘(角力灘)を望む弥生時代砂丘遺跡の予察的考察―」
pp133-159